鬼は外、福は内?鬼滅の刃に学ぶ人間のありさま(公式LINEバックナンバー)

こんにちは!賢明寺の副住職、大江英崇です。

今日は節分ですね。普段は2月3日ですが、124年ぶりに2月2日になっているそうですよ。

目次

鬼は外、福は内?

節分と言えば「豆まき」ですよね。

最近は恵方巻というのも流行ってきています。

ところで、みなさんは豆まきの意味をご存じでしょうか?

私もなんとなくしか分からなかったので、調べてみたのですが「豆まきは季節の変わり目に起こりがちな病気や災害を鬼に見立て、それを追い払う儀式」だそうです。

なるほど。だからこの時期に行うのですね。

 

この儀式の意味を見てみると私たちは昔から「厄介なものは外にある」と考えているようです。

しかし、ほんとうにそうかな?と思います。

 

本当は私たちの中にこそ鬼がいるのでは?と思うのです。

 

鬼滅の刃に学ぶ、人間のありさま

昨年から流行っています子どもたちに大人気の漫画・アニメ『鬼滅の刃』では、元々人間だった者たちが鬼に変わり人間を傷つけていく様子が描かれます。

 

昔の漫画であれば悪い鬼をヒーローがやっつけておしまい。

ところが、『鬼滅の刃』では鬼側のバックストーリーが描かれます。

鬼は悲しい物語の末に、鬼に成ってしまったということが描かれ、その物語を目の当たりにすると同情を禁じえません。

この鬼側のストーリーがあるからこそ、『鬼滅の刃』は子どもも大人も巻き込んでブームになったのかと感じています。

 

しかも、『鬼滅の刃』の鬼たちは「人の行動が原因」となって鬼になる様子が描かれているんですね。

つまり、本当の鬼は外にではなく、私たちの中にこそいるのではないか?ということなんです。

 

仏教では私たちの中にいる鬼のことを「煩悩」と言います。

しかも、この煩悩は私たちに引っ付いていますので切り離すこともできません。

ですから、私たちは条件がととのえば鬼になるものを持ちながら生きているということになります。

 

そういう仏教的なところから見ると「節分の豆まき」は

鬼は外、福は内ではなくて、「鬼は内、福は外」と言い換えることができそうです。

 

ご縁の中で生きている私たちですから、お互いを思いやって自分の中の鬼を自覚し、生きていくことが

本当の意味での「福は内」になっていくのかもしれませんね。

 

合掌

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

それでは、また。

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