今回は、お盆についてお伝えします。
お盆と言えば田舎に帰省してお仏壇や墓参りをする。
そんなどこか少し懐かしいイメージがあるのではないでしょうか?
それらは多くの方が抱くイメージですが、ところでなぜ、お盆の時期にお仏壇を飾ったり墓参りをするのでしょうか?
また、お盆のルーツはどこにあるのでしょうか?
今回は知っているようで知らない「お盆」のことをわかりやすくお伝えしたいと思います。
※はじめに一般的に知られている仏教的な話を述べた上で、最後に浄土真宗のお盆の捉え方をお話していきます。
お盆という名前はどうしてつけられた?
お盆は正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)と呼びます。
この名前は『盂蘭盆経』(うらぼんきょう)によるもので、盂蘭盆会とは「盂蘭盆という法要」が行われる期間を指します。
それを省略して盆とか、お盆というように呼ばれます。
ちなみに、ウラボンとは、サンスクリット語の音写(おんしゃ)からつけられたものです。
仏教では、インドから中国とことば翻訳されていく中で、インドの言葉の音の響きが漢字にあてはめられました。
例えば、日本ではその昔アメリカを「亜米利加」とあてたようなものです。基本的に漢字そのものには意味がありません。
また、盂蘭盆(ウラボン)と呼ばれるようになった語源としては複数の説があります。
その中でも近年有力だとされている説が、「ご飯をのせた盆」の意味であると言われています。
この盂蘭盆の語源については従来六つの説が提唱されていた。
①梵語の俗語形であるⓈullambana(倒懸。逆さづりの意)とする説。
『一切経音義』三四巻に示される(正蔵五四・五三五中)。
②盆器を起源とする説。
『盂蘭盆経讃述』に示される(正蔵八五・五四〇上)。
③Ⓢullumpana(救済の意)とする説。
④古代イラン語のartavān(超自然力を宿した死者の霊魂の意と考えられる)が転訛したとする説。
⑤イラン系言語のurvan(霊魂の意)とする説。
⑥Ⓢpravāraṇā(自恣)から転訛したとする説。近年は研究が進み、「盂蘭」の原語をⓈodana(ご飯)とし「盂蘭盆」は「ご飯をのせた盆」の意味であるとする説が有力となっている。
引用: Web版 新纂 浄土宗大辞典
実際、原典の『盂蘭盆経』をあたってみると、文脈からはお供え物という意味の「ご飯をのせた盆」ととらえるのが自然だと思われます。
お盆はいつからいつまで? 期間について
お盆は、もともと旧暦7月15日にあたる中元節の日に行われていましたが、
先祖に長く滞在してほしいとの気持ちから期間が延びていったようです。
明治時代に新暦が採用された影響もあり、現在では主に新暦(グレゴリオ暦・西暦)の8月13日~16日の4日間がお盆の期間となります。
本来のお盆の7月15日から言うとひと月遅れているので、「月遅れ盆」とも呼ばれます。
ただし、お盆の時期には地域差があり、東京などでは新暦7月13日~15日にお盆をおこなっています。
また、旧暦でお盆を行っている沖縄・奄美地方のような地域もあります。
どうしてお盆が行われるようになったのか?
お盆は盂蘭盆経の目連尊者と母の故事によるもの
現在のような形のお盆がなぜ行われるようになったかといいますと、そのおおもとは『盂蘭盆経』(うらぼんきょう)というお経が大きく関わっています。
その盂蘭盆経の中に出てくる目連尊者とお母さんのお話が軸になっています。
「盂蘭盆経」によりますと、お釈迦さまの十大弟子の一人で「神通第一」といわれる 目連(もくれん) さまが、ある日、亡くなった自分の母親のことを神通力を使って見ていると、なんと母親は餓鬼の世界に落ちて、苦しみにあえいでいました。
びっくりした目連さまは、お釈迦さまのところへとんで行き、どうしたらよいかを相談しました。
するとお釈迦さまは、「90日間の雨季の修行を終えた僧たちが7月15日に集まって 反省会を行うから、その人たちにごちそうをして、心から供養しなさい」とおっしゃり、そのとうりにすると、目連さまの母親は餓鬼の苦しみから救われました。
お釈迦さまはさらに「同じように、7月15日にいろいろな飲食を盆にもって、仏や僧や大勢の人たちに供養すれば、その功徳によって、多くのご先祖が苦しみから救われ、今生きている人も幸福を得ることができよう」とお説きになりました。
引用:浄土宗公式サイト
以上の話を簡単にまとめます。
- お釈迦様の弟子である目連尊者のお母さんが餓鬼道に落ちて苦しんでいました。
- 餓鬼道から救い出す方法をお釈迦様に尋ねると、お釈迦様はお坊さんたちにふるまいをして、供養しなさいとおっしゃったのです。
- そのことを実践すると目連尊者のお母さんが餓鬼道から救われたというお話です。
このことから、祖先の霊を我が家に迎えお供えをし、その功徳によって苦しみの世界から救い出し、浄土に送りかえす盂蘭盆会の行事が生まれたといわれています。
仏教伝来以後、日本古来の信仰と結びつき、今のお盆になった
実は日本には仏教伝来以前から「先祖の霊が帰る」という民間信仰がありました。
この信仰と盂蘭盆会が合わさって今のお盆の形になったと言われています。
一方、もともと日本には、仏教が伝来する前から、先祖の例を迎える「御霊祭り」という儀式があり、推古天皇の時代からは、朝廷に僧侶や尼僧を招いて食事をしたり仏事を行ったりする「斎会」(さいえ)という行事が行われていました。こうした先祖崇拝の心と盂蘭盆会が合わさって次第に形を変え、現在のお盆になったと考えられています。
お盆は当初は宮中儀式であり、貴族など上層階級の人々だけが行うものでした。それが一般庶民にまで広まったのは江戸時代のことです。これは、仏壇や盆提灯に使用されるろうそくなどが普及したことにより、庶民でもこれらをそろえて先祖供養が行えるようになったためです。
引用:仏教のしきたりと 季節の伝統行事 サクラムック89 ビジュアル図鑑シリーズ
以上がお盆の成立と由来になります。
ご家庭や地域で迎えるお盆行事の実際
お盆の実際としては、全国で様々な行事が行われています。
浄土真宗の事例ではありませんが、仏教全般の一般的なお盆の例として紹介しましょう。
お盆の行事
お盆の行事は家庭でおこなうものや、地域でおこなうものがあります。
地域によっては独特のお盆の行事が行われ、お祭りになっているものもあります。
仏教宗派によって捉え方は違いますが、日本のお盆はおおむね地域の風習と合わさって「先祖供養」と「先祖の霊を迎える行事」として認識されているようです。
それらを表すお盆の行事として、全国的に一般化しているのは、
- お墓参り
- お仏壇でのお参り
- 盆踊り
が有名です。
お墓参り
お盆までにお墓の掃除をおこなうことが一般的で、お盆当日は家族でお墓参りをされる方も多くおられます。
お盆のはじまりの13日の早くにお墓にお参りし先祖の霊を迎え、お盆終わりの日の夕方ごろにお墓に連れて帰るという考えもあります。(仏教宗派によって考え方は違います。)
先祖は身内という意識のためか、宗教離れと言われる現代にあっても、お墓参りは大事にされているという印象があります。
お仏壇のお飾り
お仏壇をお盆用の飾りにするのも一般的です。先祖を迎えるという意味合いがあるためでしょう。
浄土真宗以外では、
- 仏壇の前に精霊棚(しょうりょうだな)を設ける
- 盆提灯を出す
- キュウリで作った馬と、ナスで作った牛を備える場合もある。
と、いったこともされるようです。
参考文献によると、精霊棚は現代ではスペース上の問題からお仏壇の中にお供えする形式も多くなっているとのことでした。
参考文献:『完全図解 仏教早わかり百科』(主婦と生活社)
私はの地域は、浄土真宗の信仰が強く、お盆のお参りと言っても、ご門徒のお家にしかお参りしないので、精霊棚などを目にしたことはありませんが、仏教者としてお盆の飾りは非常に興味深いです。
初盆(はつぼん)・新盆(にいぼん)
前年のお盆前から、その年のお盆前までに亡くなられた方と家族が迎える初めてのお盆のことを初盆(はつぼん)といいます。
地域によっては「ういぼん」と読むところや、その他「新盆」(にいぼん・あらぼん)と表記する地域もあります。
具体的には筆者の地域では初盆(はつぼん)といい、通例ではその年のお盆(8月13日)までに49日法要が終わっていれば、初盆を行います。
お盆までに49日が終わってなければ、次の年に持ち越しとなります。
筆者の地域では、地域の方が初盆を迎えるご家庭にお参りするのが一般的で、お盆の時期は正装をした方が町を歩いておられるのをよく見かけます。
また、その昔地域の先輩方の話によると、初盆のご家庭に行って、家の前で盆踊りを披露するという習慣もあったそうです。
現在では矢倉の周りで楽しく踊るというイメージしかない盆踊りですが、もともとは死者の霊を迎えて慰めるための踊りであり、踊り念仏にもルーツをたどることができるのが盆踊りですので、
家の前で踊りを披露するという習慣はまさしく宗教的な意味合いが受け継がれていたあらわれかもしれません。
盆踊り
お盆休みに田舎に帰省して、お寺や公民館や集会所で開かれる盆踊りに参加するという方もおおいのではないでしょうか?
盆踊りは町の追弔会などを兼ねていることもあり、同時に法要が営まれることもあります。
集会所などで催される場合は、外では子供会や婦人会の盆踊り、集会所の中ではお坊さんによる読経と、一種独特な日本の宗教感を見ることができます。
お盆はお坊さんが一番忙しい時期
お盆はお坊さんが一年で一番忙しい時期と言ってもいいでしょう。
ほとんどの地域で全門徒(檀家)のお仏壇にお参りすることが多いです。
一日で何十軒と参るために、大きなお寺では臨時でよそのお坊さんに来てもらいお参りを手伝ってもらうこともあります。
お盆の時期に門徒・檀家に一軒一軒お参りしていくことを通称「棚経」(たなぎょう)と呼びます。
これは、精霊棚の前で読経するためにこう呼ばれます。
ただし、浄土真宗の場合、精霊棚を置くことがないので正確には棚経と呼びません。
ただ単に「お盆のお参り」と呼ぶことが多いです。
浄土真宗の捉え方
これまで、お盆の意味を「先祖供養」のためや「先祖を迎える」行事とお話してきましたが、実は浄土真宗ではお盆の捉え方が違います。
浄土真宗では、先祖供養であったり、お盆に先祖の霊が帰ってきてそれを迎えるという考え方をしないのです。
こう聞くと、「ちょっと、それは寂しいなぁ」という人もおられるかもしれません。
ですが、それについては、心配なさらなくて大丈夫です。
結論から申しますと、浄土真宗では先に行った縁ある人がお盆に帰ってこないというわけではなく、お盆以外の時にも常に帰ってきてくださっているという考え方をします。
なぜ、そのような考えをするかというと、大きな要因としては、往生即成仏という教えがあるためです。
浄土真宗でいう往生即成仏とは、お念仏の教えを聞きいただいて、往生した者は即座に阿弥陀如来と同じはたらきをする仏になることをいいます。
即座にということは、この世のいのちが尽きてすぐということで、
死後に何か形のないものになって、やがて往生するという段階がないということです。
つまり、冥土の旅もありませんし、49日間娑婆をさまよったりすることもありません。
これは、阿弥陀様の功徳によるものですが、亡き方は往生すると同時に仏様になって、すでに仏様として多くの方を救う活動をされているのです。
一般的には、亡き方は極楽浄土でゆったりとされているイメージがありますが、実はそうではありません。
仏となったら極楽浄土でゆったりとしているのではなく、多くの悩み苦しむ者がいる、この娑婆世界に帰ってきて多くの者(この私)を救う活動をされるのです。
ですから、そこから考えると実は亡き方はもうすでに、私達の元に帰ってきてくださっているととらえるべきでしょう。
ですから、お盆だけに帰ってくるのではなく、霊として帰ってくるのでもなく、仏様となって常に私をお浄土の世界へ導き、護ってくださっているのです。
浄土真宗では、その日々の恩に感謝することがとても大事であるとされています。
浄土真宗ではお盆を歓喜会(かんぎえ)ともいいます
浄土真宗では、先祖や様々な人が繋げてくださった尊い仏法のご縁や阿弥陀様のお救いに感謝するという意味でお盆のことを歓喜会(かんぎえ)と呼びます。
また、親鸞聖人は次のようにおっしゃっています。
歓喜とは、信心歓喜などとお経にはありますが、
親鸞聖人は「歓はみをよろこばしむ、喜はこころを
よろこばしむとなり」とおっしゃっています。また「歓喜とは、得なければならない往生を必ず得る
ことができると、往生に先立ち前もってよろこぶという
意味である」と、お書きいただいています。
つまり、歓喜という言葉には、阿弥陀様のお働きによって私の往生が決定していることを、前もって喜ぶという意味があるということです。
お盆を感謝の法要だといただけば、先祖を「私が供養する」という方向性は失われ、すでに私は「先祖や阿弥陀様から願われている存在だったのだ」という方向性に気付かされます。
一般的なイメージの先祖を供養するお盆とは真逆ですが、先祖や仏様からの矢印が私に届いていることを、再確認するタイミングが浄土真宗における、お盆の期間だと言っていいでしょう。
お盆の意味や由来を解説! まとめ
今回はお盆の由来や歴史についてお伝えしました。
一般的な世間のお盆のイメージや内容を前半にお伝えして、後半は浄土真宗のお盆の捉え方をお伝えしました。
日本にはさまざまな仏教宗派があるので、自分の家の信仰に合わせたお盆の迎え方があります。
分からなければ、お手次のお寺さんに聞くか、仏教書で情報を集めてみてもいいでしょう。
実家の墓参りやお仏壇を今までなんとなくしか見てなかったなという方はぜひ、この機会に仏事に触れて、手を合わせてくださればと思います。
合掌
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