日本を代表するコメディアン志村けんさんが3月29日、70歳で往生されました。
新型コロナウィルスによる肺炎でした。
退院されたらまた元気な姿で私たちを笑わせてくれると思っていましたが、それもかなわず。
昔からテレビで慣れ親しんだ人が亡くなるというのはやはりショックですね…。
日本だけではなく、世界の多くの方が悲しまれているとのニュースを聞き、本当に世界中で愛されていた人物なんだなと感じました。
志村けんさんの人柄や昔見たテレビのことを思い出しているうちにあれこれと書きたくなりました。
そういうことで、今回は志村けんさんを通して仏教を味わってみたいと思います。
志村けんさんの番組の思い出
私はドリフはリアルタイムではなかったのですが、
小学生の頃に「バカ殿」や「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」はよく見ていました。
バカ殿は家族と見ていると気まずくなるお色気シーンがあったからでしょうか、今はもう亡くなった祖母のウチに泊まりに行った時には堂々と見れていました。
なぜかコントの中に突如ホラーがあったりして怖かったのも印象的です。
あと志村けんさんと言えばもはや伝説となっている、ケンちゃんラーメンですかね。
「おーいケンちゃんラーメン新発売だよ~っかぁ」
というCMは印象的で、当時何年たってもいつまでたっても新発売ということでネタにされていました(笑)
そういった楽しい番組を通してたくさんの思い出もある志村けんさんですが、
友人たちと遊ぶ中で、流行っていた「だいじょうぶだぁ」というギャグについてお話したいと思います。
志村さんのコント中のギャグ「だいじょうぶだぁ」
まず、だいじょうぶだぁというギャグですが、みなさんは覚えていますでしょうか?
一応おさらいしておきますね。
「トトン・トン だいじょうぶだぁ トトン・トン ウェウェウェ」
謎の3連太鼓を叩いて、だいじょうぶだぁ ウェウェウェというギャグでしたね。
当時は3連太鼓のおもちゃも出ていたので、友達と真似して遊んでいたのを覚えています。
志村けんさんが往生された後にYouTubeで見直してみましたが、意味わからなすぎて当時の勢いを感じるなぁと思いました。
新興宗教を題材にしたコント中に登場したものだったので、「だいじょうぶだぁ」はもしかしたら、志村さんの宗教イメージだったのかもと思いました。
このだいじょうぶだぁは人気のギャグだったようで、番組名にもなっていましたね。
大丈夫は仏教と関係の深い言葉だった
実はこの「だいじょうぶだぁ」というギャグは仏教と関わりがあるのです。
だいじょうぶだぁの「だいじょうぶ」を漢字にすると「大丈夫」となります。
実はこの言葉、もともとは仏教語なんですね。
大丈夫という言葉についてみていきましょう。
現在の大丈夫の意味
仏教語の意味をあたる前に、まずは現代の意味をみてみましょう。
辞書を調べてみると、大丈夫には次のような意味があります。
1 あぶなげがなく安心できるさま。強くてしっかりしているさま。「地震にも大丈夫なようにできている」「食べても大丈夫ですか」「病人はもう大丈夫だ」
2 まちがいがなくて確かなさま。「時間は大丈夫ですか」「大丈夫だ、今度はうまくいくよ」
引用・デジタル大辞泉(小学館)
子どもが転んだ時にかけよって「大丈夫?」と声をかけたり、体調を気遣ってくれた人に対して「うん、大丈夫だよ。」
…というように私たちは使っていますよね。
志村けんさんも、コントの中でこちらの意味で使っておられました。
ところが時代をさかのぼってみると少し意味が違ってきます。
昔の日本の大丈夫の意味
日本ではその昔、りっぱな男性のことを益荒男(ますらお(を))と言いました。
通常は益荒男は←こういった漢字が当てられるのですが、
別の漢字でもますらおと読むのです。
それが「大丈夫」
もし近くにスマホやキーボードがあれば、「ますらお」と入力して変換してみてください。
大丈夫という漢字が出てくるはずです。
つまり、立派な男性=大丈夫と言ったのです。
サンスクリット語の大丈夫の意味
さらにお釈迦さまがおられたインドではどうだったかということを見てみましょう。
インドの古典語であるサンスクリット語では
大丈夫のことをマハープルシャといいます。
マハーは偉大なという意味で、プルシャは人とか男性という意味です。
つまりマハープルシャは偉大な人間とか、偉大な男性という意味になります。(日本の昔とほとんど同じ意味ですね。)
マハーラージャとなると「大王」となります。マハラジャのことですね。
仏教語としての大丈夫
さて、いよいよ仏教語としてはどうだったのかということを見ていきましょう。
お経の中には「大丈夫」や「丈夫」という言葉として出てきます。
複数箇所登場するのですが、今回は涅槃経と仏説無量寿経から紹介します。
お経の中の大丈夫の出どころを説明する前にお伝えしたいのが、
仏(おしゃかさま)の徳やはたらきを表すために仏教では異名というものがあるということです。
異名とは例えば山田さんという方がいらっしゃって、その方が数学がバツグンに優れている方であれば、
「数学の天才」という風に呼ばれたりしますよね。
つまり異名とは簡単にいうと二つ名とでもいいましょうか。
それがお釈迦さまには10個あるのです。
それを如来の十号(じゅうごう)といいます。
涅槃経では如来の十号のひとつに「大丈夫と名づく」とあります。
・・・また商主と名づく、また得解脱と名づく、また大丈夫と名づく、また天人師と名づく、…
涅槃経・浄土真宗聖典注釈版 p.353 L7
ここでは、お釈迦様の異名のひとつが「大丈夫」であるということをあらわしています。
この部分の大丈夫の意味としては浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類 現代語版に
雄々しく努め励むものとして大丈夫ともいい、
(浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類 現代語版より)
とありますので、「立派に努力精進する者」ということと受け取れます。
▼また大無量寿経では次のように出てきます。
その時に、次に仏ましましき。世自在王 如来・応供・等正覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と名づけたてまつる。
仏説無量寿経・浄土真宗聖典・p11 L3
※仏世尊を一つにすると十となります。異説も存在します。
大無量寿経では如来(お釈迦様)の十号のひとつ「調御丈夫」(じょうごじょうぶ)と書かれています。
ここにも丈夫という言葉が出てきました。
調御(じょうご)丈夫(じょうぶ)じょうごじょうぶとは?
さて、調御丈夫(じょうごじょうぶ)とはどのような意味でしょうか?
インドの古典語であるサンスクリット語で調御丈夫(じょうごじょうぶ)のことを
Purisadamma-sārathi(もしくは、puruṣadamyasārathi)プリサダンマ サーラティと言います。
意味はすぐれた御者(馬を操る人)という意味でそこから転じて「仏道への導き方が巧な人、うまい人」となります。
▼wikipediaの説明が分かりやすかったので合わせて引用しておきます。
調御丈夫(じょうごじょうぶ、puruṣadamyasārathi)
御者が馬を調御するように、衆生を調伏制御して悟りに至らせる者。仏は大慈大悲を以て衆生に対し、あるいは軟語、あるいは苦切語・雑語を用いて調御し、時に応じて機根気類を見て与え、正道を失わしめない者であるという意。
…というところから、調御丈夫(じょうごじょうぶ)がお釈迦様の異名になったのです。
大丈夫の意味も丈夫の意味も模範になるようなリーダー(指導者)や優れた求道者・布教者と言ったの意味合いがあるように感じました。
その他に、華厳経の中にも「若し諸の菩薩此の法に安住すれば則ち大丈夫の名号を得ん」という言葉もあるようです。
つまり大丈夫とは?
ここで今までの話を少し整理しておきます。
丈夫や大丈夫という意味は現代ではあぶなげがなく安心できるさま。強くてしっかりしているさま。などをあらわしていますが、
もともとインドの言葉で「偉大な人間」(マハープルシャ)をあらわしており、
そこから転じて偉大であり素晴らしいお徳を備えたお釈迦様の異名となりました。
さらに調御丈夫(じょうごじょうぶ)というお釈迦様の異名を見てみると、仏教への導き方が優れた人(求道者・布教者)という意味があり、まさにお釈迦様のことを表しています。
まとめ 改めて、志村さんの「だいじょうぶだぁ」を見る
最後に改めて志村けんさんの「だいじょうぶだぁ」というギャグを見てみましょう。
3連太鼓と「だいじょうぶだぁ」というひょうきんな言い回しは誰しもが思わず笑ってしまう破壊力抜群のギャグです。
その他にも数々の伝説的ギャグを生み出した志村さんですが、
人を笑わせることで、多くの人の気持ちを救っておられたのだなぁと追悼番組を見ていると改めて思わされます。
今回の記事で学んだ言葉を使うならば、志村けんさんは私たちを笑いに導く優れた人であり、マハープルシャ(偉大な人間)だったのではないでしょうか?
現世で志村さんの姿を見れないのは寂しいですが、仏さまとなってまた違った形で人を幸せにされ、笑わせておられるのだと思います。
不安な時ではありますが「だいじょうぶだぁ」と声をかけお互いに笑いあいたいものですね。
それでは、また。
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