こんにちは。賢明寺というお寺をあずかっております浄土真宗本願寺派の僧侶、大江英崇と申します。
今あなたがこの記事をお読みいただいているということは、程度は分かりませんが仏教に興味があるということでしょう。
日本では昔から仏教というものが身近に存在してきました。
京都をはじめ古都での観光ではお寺へ行くことも多いですし、
私たちが生活している街中ではお寺を目にし、家では葬儀や法事が行われます。
それだけ日本人の身近にあるものが仏教です。
しかし、身近に触れられる一方で「仏教とは何か?どんな教えか?」と問われると、うまく答えられないということもあります。
また「仏教を知って、学んでいったいどうなるの?」というご意見もあるかもしれません。
いうなれば近くて遠い、そんな存在が日本人にとっての仏教なのかもしれません。
今回は、仏教に興味があるけれど難しそうというイメージのある方、はじめて仏教に触れる方に向けて、なるべく分かりやすく私なりに「仏教とは何か?」ということをお伝えしていきたいとおもいます。
今の時代にこそ仏教のものの考え方、仏さまを中心とした生活は活きてくるはずです。
ぜひ、こちらの記事をお読みになって仏教に興味を持っていただればと思います。
それでは、「仏教とは何か?」というお話を始めてまいりましょう。
仏教とは宗教である
多くの人がイメージする仏教は、やはり葬儀や法事でお経をとなえるお坊さんの姿ではないでしょうか?
その意味合いを考えると仏教はどちらかというと「供養をしてもらうためのもの」として儀式的な側面のイメージが強いのではないか?と感じます。
儀式的側面も大事ですが、まずおさえておかなくてはならないのが「仏教は宗教である」ということです。
教科書で習ったことを思い出してみると仏教はキリスト教、イスラム教、と並び世界3大宗教のひとつに数えられていましたよね?
仏教とは何か?ということを考えるにあたって、まずは宗教ということを簡単にひも解いてみましょう。
この単元のポイント:仏教は宗教である。
宗教とは何か?
宗教というと、もしかしたらいいイメージを持たない人もいるかもしれません。
それはカルト宗教と呼ばれるものが存在し、過去に事件やテロを起こしたインパクトが強く、いまだにメディアなどでその狂信性がとりだたされるからでしょう。
しかし、本来の宗教というのはそういうものではありません。
宗教とは、字のごとく「宗なる教え」(むねなるおしえ)です。
簡単に言うと私の中心となってくれる教えのことです。
この私の中心となってくれる教え(宗教)は言い換えれば、拠り所(よりどころ)となります。
よりどころというのは、人生において柱になるもののことで道に迷った時に頼りになり、安心を与えるもののことを言います。
つまり、人生において安心を与えてくれる教えのことを宗教というのです。
仏教が宗教であるということは、人生において安心を与えてくれる教えのひとつであると言えるでしょう。
この単元のポイント:宗教はむねなるおしえ。仏教とは私の人生に安心を与えてくれる教えである。
仏教とは「お釈迦様(ブッダ・仏)の教え」という意味と「仏に成る教え」という2つの意味がある
それでは中身に入っていきましょう。
仏教とは何かということをはじめに漢字の意味から見ていきます。
漢字の意味からうかがうとまずは仏教とは「仏」さまの「教」えということができます。
ここでいう仏さまはとはお釈迦様のことになります。
お釈迦さまとはおよそ2500年前にインドのルンビニーという場所でお生まれになった方で、
出家され、ご修行され、瞑想された結果、さとりを開かれました。
そのさとりを開いたお釈迦さまが説かれた教えが仏教なのです。
ところで、お釈迦さまの説かれた教えなら、釈迦教と言わないのは、どうして?
ではどうして、釈迦教ではなく仏教というのかというと、お釈迦様のことをブッダ(仏)とも言うからです。
ブッダとは「真理に目覚めたもの」という意味で、インドの言葉でBuddhaといい、漢字にすると仏陀となります。
どういう方が説いた教えなのかということが、仏(目覚めたもの)を使うことによって意味がよりはっきり分かるため、仏教というのです。
それともう一つ大切なのが、仏教とは「仏に成る教え」だということです。
仏教では教えを聞き実践したものも仏に成ることができるというのです。
仏さまの教えということだけでなく、仏に成ることができるというのは仏教の大きな特徴となっています。
他の宗教では神の言葉を聞き実践していきますが、神になれるわけではありません。
しかし、仏教は仏さまの教えを実践していくことで聞いている者も仏に成れると説かれるのです。(大乗仏教では)
この観点から仏教のことを言うと「成仏道」(仏に成る道・ちぢめて仏道)ともいうことができます。
この単元のポイント:仏教とは仏さまの教えという意味と、仏に成る教えという意味がある
仏教とは:お釈迦様(ブッダ・目覚めた人)は何に目覚めた?何を悟られた?
前の項目でお釈迦様は悟られたとお伝えしましたが、果たして何を悟られたのでしょうか?
お釈迦様は菩提樹の下で瞑想をされた結果「縁起の法を悟られた」と伝えられています。
縁起につていはまた別にくわしくご説明したいと思いますが、お釈迦様が悟られた内容は要約すれば、
どうすれば苦しみから解放されることができるのか?ということを悟られたといえます。
もう少し言うと、お釈迦様は人間の苦しみの原因を明らかにし、その具体的な解決方法を悟られたのです。
この単元のポイント:お釈迦さまは人間の苦しみの原因と解決法を悟られた
仏教とは:お釈迦様は何を説かれたのか?
お釈迦様は悟られた後に生涯をかけてお説法(お説教)をされていきます。
それが、現在ではお経として伝わっています。
お釈迦様が具体的に何を説かれたのか?ということについては、お釈迦様の一番最初のお説教を見るといいでしょう。
お釈迦様が真理を悟ってから、一番最初に説法をされたことを初転法輪(しょてんぽうりん)と言います。
一番はじめに何を説かれたかというと、瞑想の結果お悟りになった中道と四諦八正道を説かれたと言われています。
中道と四諦八正道を簡単に言うと…
- 物事をありのままにみること。
- 私たち人間を苦しめている根本的な原因は何か?その苦しみから解放されるにはどうすればいいか?
ということです。
もう少し分かりやすくするとお釈迦さまは
思い通りにならない人生、その苦しみから解放される実践法とそのゴール(境地)を説かれたのです。
この単元のポイント:お釈迦様は物事をありのままに見ること、そして苦の正体と私たちが目指すゴール、苦を滅するための実践法を説かれた
仏教とは:どうして仏教を説かれたのか?仏教と私の関係性
どうしてお釈迦様はこの教え「仏教」を説かれたのでしょうか?
結論から言えば、この世の真実に気づかず悩み苦しむものがいたからです。
この世の真実に気づかず、悩み苦しむもの。
それはお釈迦様ご自身のことや2500年前のインドの人々のことだとも言えますが、それだけではありません。
この世の真実に気づかず、悩み苦しむもの。とは、ずばり現代を生きる私たちのことです。
つまり、お釈迦様は私たちを苦しみから救うために仏教を説かれたのです。
仏教は私たちのために説かれたと聞くと、意外に思うかもしれません。
仏教は葬式、法事という儀式であり、供養であり、死者のためのものと思っている方もおられることでしょう。
しかし、お伝えしてきましたように本来的にはそうではありません。
お釈迦様がはじめてお説教なさった初転法輪では5人のお坊さんにお悟りの内容を説かれました。
つまり「生きている者」に対して「仏」さまの「教」えを説かれたのです。
このことからも分かるように仏教は本来生きている私たちのための教えなのです。
生きている私たちは思い通りにならないと悩み苦しみます。
もしかしたらそんなことはないよ。ハッピーだよという人もいるかもしれませんが、今は全て順風満帆でもそれはずっとは続きません。
世の中は諸行無常。すべてが移り変わっていくからです。
移り変わっていく時には、ハッピーだった思い出が次の私を苦しめる種になることもあるのです。
ですから、お釈迦様はそうやって苦しむものを放っておけず、仏教をお説きになりました。
人々が苦しまないように。世の中の本当のありように気づかせ、どのように生きていけばよいのかを示したい。
それがお釈迦様の願いです。
言い換えるならば「仏教は今をよりよく生きるための教え」ということができます。
そう考えると、仏教は私たちに関係のない話ではないのです。
むしろ「今をよりよく生きる」というテーマは大いに私たちと関係のあることと言えるでしょう。
結論:仏教とは今をよりよく生きるための、私のための教えである
仏教とは何か? まとめ
今回は仏教とは何か?ということを簡潔にお伝えしました。
その中で一番大事なのは仏教とは他の誰でもない、私のための教えであるということです。
仏教を学びお釈迦様の示して下さった価値観、ものの見方を学び味わっていくことで今をよりよく生きることができるでしょう。
一朝一夕にはいきませんが、少しずつ仏さまになる道を歩んでいくことで変わっていく自分に気づくこともあるかもしれません。
これから少しずつではありますが、仏教についてお伝えしていきたいと思いますので、またお読みくだされば幸いです。
それでは、また。
大江英崇でした。
コメント